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海山太郎 (二所ノ関) : ミニ英和和英辞書
海山太郎 (二所ノ関)[かいざん たろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

海山 : [かいざん, うみやま]
 (adv,n) sea and mountains
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [に]
  1. (num) two 
: [ところ, どころ]
 (suf) place
: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers

海山太郎 (二所ノ関) : ウィキペディア日本語版
海山太郎 (二所ノ関)[かいざん たろう]
海山 太郎(かいざん たろう、1870年9月10日 - 1931年6月6日)は、土佐国土佐郡(現在の高知県高知市)出身で友綱部屋(入門は大坂相撲の猪名川部屋)所属の明治時代に活躍した元大相撲力士。本名は、笠井兎之助(かさい とのすけ、外之助とも)。身長173cm、体重99kg。得意手は、小手投げ、すくい投げ。最高位は関脇
== 人物 ==
大坂相撲の猪名川部屋に入門し、鏡川の四股名を名乗る。その後1891年(明治23年)5月に東京の友綱部屋に移籍、序二段付出となる。1894年(明治26年)5月場所で新十両1895年(明治27年)1月場所で新入幕と順調に出世した。
1898年(明治30年)1月場所の新関脇で6勝1敗2預、翌5月場所も5勝2敗2預の好成績で大関を期待されるが、次の1899年(明治31年)1月場所は2勝5敗2分と大きく負け越して果たせなかった。常陸山に強く、常陸山がまだ横綱昇進前ではあったが2勝しており、最高位が関脇以下の力士ではただ1人常陸山から2勝している。1910年(明治42年)1月場所を全休して現役引退、年寄二所ノ関を襲名した。
引退後は独立して二所ノ関部屋を興し、直弟子には第32代横綱玉錦などがいる。二所ノ関部屋は稽古土俵がなく共同の稽古場を使う小部屋だったので、弟子の中には出羽ノ海部屋などの大部屋の預かりとなって稽古をつけてもらう力士もいた。昭和時代に入り玉錦を大関まで育てるも3連覇しながら横綱を見送られ、綱姿を見ることなく病没した。
二所ノ関部屋の開祖であるためか「海山太郎」の四股名は二所ノ関部屋の出世名となり、後の二所ノ関部屋の力士(神風正一など)が襲名している。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「海山太郎 (二所ノ関)」の詳細全文を読む




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